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幡野さん。
『僕が子どものころ、ほしかった親になる』
を何となく買ってみて読んで、大きな衝撃を受けた。
癌と宣告され、子どもに残せるのは言葉だと、
そうしてできたのが、『僕が子どものころ、ほしかった親になる』本だった。
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そして、冒頭にあげた本。
最新、3冊目の本だ。
幡野さんになぜだが相談がたくさんくる。
恋愛や家族について、癌患者になんで聞くんだって内容も多い。それが理由のタイトルだ。
でも、一つ一つ飾らない言葉で答えるそのスタイルは読んでいてとても心地がいい。
その中で、
やはり子ども関係の相談は、見入ってしまう。
子どもが不登校だとか非行に走ってるとか、
いろいろあるが
幡野さんの切り口は
我々の見解と酷似している。
一貫して
「子どもは被害者」
「親が子どもを疑い、何も信じていない」
そういうことが問題の根本にある。
勝手に子どものスマホをみたり
子どもの言葉を「どうせ誤魔化しているんだろう」と聞く耳を持たなかったり
自分の思うようにいかないことを全て、
子どもが悪として見てきてしまったことが
子どもの成長とともに表面化する、それだけだ。
先生も親も、大人だけど、
決して子どもたちより偉いわけでもないし、
間違っても子どもは親の操り人形ではない。
互いに違い
互いに未熟な
1人の人間として向き合っていくこと
これが全ての原点なのだ。
押し付ける、決めつける、評価する
のではなく
提案して、よく聞いて、アドバイスする
しかできない。
子どもの人生は本人が責任を持って生きるしかないのだから。
無理やりに動かそうとして悲劇が起きる。
そして悲劇はたくさん起きてる。
こういう悲劇がへるために
今日、できることを、やるしかないよね。